県外から福岡に来られた方々からよく
「福岡は博多と福岡って言う名前があるけど、一体どっちが正しいんですか?」
と、質問されます。
答えとして率直に言うと、福岡です。
というのが、博多町・博多市・もちろん博多県というのも一切存在しません。
しかし、福岡と言う地名よりはるか昔の西暦759年には続日本記という書物に既に博多という地名があったと記さてています。(字は羽形)
その博多の地名の由来としては諸説ございますが、博多は港町で、海に突き出る陸地の形が鳥が羽を広げたような形をしているからと言う事です。
そもそも、福岡と言う地名が出てきたのは西暦1600年の関ヶ原の戦いの後です。
時は戦国・・・徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍が戦った関ヶ原の戦いが起き、およそ半日で決着がついたという天下分け目の大戦。
結果東軍が勝利し、東軍についていた黒田長政が戦で活躍したと言う事で筑前の国へ52万石を与えられて入封(にゅうほう)したのでした。
その時に、黒田家ゆかりの地である岡山県福岡の地名から取り、黒田藩の一大拠点の城を福岡城と名付け、そこの地名を福岡にしたのです。
しかし、明治維新が起こり明治政府がそれまでの藩政を廃止して地方統治を府と県に一元化した廃藩置県が1871年に行われ、黒田藩が廃止されて福岡県が置かれることになりました。
さらに1889年(明治22年)4月に政府から市政と町政制度の交付が行われました。
この1年前から福岡市にするか博多市にするか住民の間で話し合いがたびたび設けられていましたが一向に決着が付かないままでしたが、とうとう明治23年2月の議会で本格的な話し合いが行われた。
福岡市を流れる那珂川を中心に、東側は古代より港を作り商人の町として栄えてきた”博多”・西側は誇り高き武士の町福岡、両者一歩も譲らず投票戦に持ち込まれる運びとなりました。
しかし、投票の当日の投票の時間になってもなぜか博多側の議員が二人もトイレから帰ってこず・・
ついでに福岡側の議員も1人が欠席して13対13の同数になりました。
再度、福岡藩の武士だった議長が議席を降りて議員として投票し、1票差で福岡側の勝利!!
その代わりに福岡の陸の玄関口を博多駅にし、空の玄関口は福岡空港にし、バランスをとりました。
博多駅に到着すると「はかたーはかたー」と言うのに福岡市なのです。
これは福岡市の駅なのに博多駅となった由縁です。
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